mikotohodo-三言ほど-

くだらない雑談と小さな情報を日常に

余白が気になる病を拗らせた


誰かの暇つぶしになりたい。そういつも思う僕は現在「余白が気になる病」を拗らせている。

誰かの拗らせ具合を見る分には大変よろしゅうございます。

「ああ~その拗らせ具合もきっと個性だ」と全力でプラスにもっていく。そう思ったほうが生きやすいと思うし、人のあれこれに引き釣られない。

よくよく人の拗れ具合に生活の一部を持って行かれがちだけど、くだらない事に一本釣りされてたまるかと思うのですが、どうしても嫌な事は付きまとう。

 だったら、こういう人なんだな(のほほん)と少し小馬鹿にした感じを自分の中で消化して万人がそうできたら世の中平和だろうな。

出来るはずが無い(きっぱり)

 理解とは難しい。一部の共感は出来るけど、なかなか他人の心を理解するのはそれ相当の恵まれた環境にお互いがいないと難しいと思うのです。

 

だってそうだろう。朝6時に帰ってきて3時間くらい寝て、ブログのちょっとした所に余白が出来て7時間も余白と格闘した結果、何一つ解決できなかったなんて理解できるだろうか。共感は出来たとしても、心通じ合う理解は難しい。

人生の無駄使いと言われてもグヌヌとしか反応できない。

そんな僕だけど猫被って「僕」なんて言いながら誰かの暇つぶしになりたいと思っているのです。

時にマンションの住人の騒音おじさんと戦い、時にマンションの住人の突然年収を聞いてくるおばさんと戦い、時にリンクだけ貼って「ここはこうして~ああして~」というリンク先だけ紹介サイトと戦い、人ってどの時代でも身勝手だな。と腹くくりつつ自分もダメになりそうな時、好きなゲームでよく見る「主人公を上から見る」という状況を自分に置き換えて、コントロールしている、はずなんだけど…

 余白と戦うという拗らせ具合にげんなりしています。

 自分を客観的に見れないから失敗する。うまくいかない。そんな偉そうなことをじゃがりこ食べながら言ってますが、ちょっとコンパクトでお手ごろ価格の「じゃがりこbits」という商品もしれっと値上げするんだろうな。

 僕の悩みなんかそんなもん。