mikotohodo-三言ほど-

くだらない雑談と小さな情報を日常に

トラウマ。その他、雑感。#5


昨日というか、今日の日付が変わった頃ですかね、ちょっと連絡があって急きょ外に出なきゃいけなくなりまして。

それでちょっと外出てくるわーなんて彼女に伝えて出たんですけどね。

やつはその時ゲームに夢中になってたのでこっち見ないで「あー」なんて返事したんですが、まあそれは特に僕は気にしないしゲームも真剣にやってたらそりゃ外の声も入ってこないでしょう。


それで家を出てなんやかんややって朝の6時前くらいに帰ってきたんですけども。

ぱっと部屋入ったら、出ていく前と同じ光景と言いますか、時間がロールバックしたんじゃないかって言うくらい同じ格好と同じ姿勢で彼女がゲームをしていたんです。

唯一違ったのは隣にチビがいまして。チビと言っても中学生なんですけどね。自分の子供ではないのですが、その子の親が体調を悪くした事がきっかけで一緒に暮らすようになりました。まあちょっと歳の離れた友達みたいな関係です。


それでチビに何時から起きてるか聞いたらニヤニヤしながら「2時」と。まあ正直に言いました、この子は僕は大好きです。

そのあと夜中のテンションを朝まで引きずっているのか僕を見てケタケタケタケタ二人で笑ってるもんだから、彼女をその場で押さえつけて「くすぐりの刑」というマウントを取ったのですが、笑いながら「やめてー、前置きブロガー」って言うんです。

たしかに本題に入る前の前置きというか前書きというか、タイトルとは全く関連性のない話は長いですけども、良い通り名を貰ったとポジティブに捉えたいと思います。


今日の雑感は「トラウマ」です。




トラウマ

Yahoo!ニュースをちらっと見たら体罰に関してのニュースがありました。それについて思うことも少なくは無いですよね。


現在、僕のお家のルールは命に関わるような問題に対しては厳しくする。また、人のコンプレックスをおもちゃにするな、です。

チビが小3くらいの時に、虫いじりが必要以上にハマってしまった事があります。いわゆる殺生です。

なくても良いのかもしれませんが、子供の頃に虫と関わる事は、命を知る事ができて良い事だと思います。どうやれば長生きし、どうやれば息絶えるのかを、視覚や感覚を使った体験を、虫というあの小さな命達は、子供に教育として与えてくれている。

しかし、時として子供は残酷で無垢なあまり、大人と違って姿形が違ったモノに嫌悪感が薄く、水槽に虫を入れては水攻めにしたり、空き缶に虫を入れては一味唐辛子攻めにしたり、一部大人の想像を超えた行動をするのが子供。


これでは息絶える命を「息絶える命」として実感するには何かが足りないと思います。少々くだらないと思われるかもしれませんが、僕は息絶えた虫に乗り移られたフリをし、チビを抱えて「水くるしいよーなんでそんなことするんだよー」と問い詰めたのです。


力を入れて抱えたせいか、チビはそれを真に受けてギャン泣きをしながら「ごめんなさい」と言ったのです。

これも体罰です。チビ自身が制御できない力で迫られたのですから、これがトラウマになるようなら僕は加害者。教育や指導というのは常に加害性があると僕は思います。



上下関係がはっきりとした中で、いきすぎた指導が体罰になるのなら、学生はもちろん、社会人はそりゃもう体罰されまくりですよね。

週末に放送される定番の番組が始まったと同時に、刻々と迫りくる月曜という悪そのものに対してストレスを感じるのも理解できます。

しかし、社会人になってからの僕は、毎日必要以上に仕事や遊びの事を考えているので「いつだって月曜日、いつだって日曜日」という都合の良い考えのおかげなのか月曜に対するストレスはありません。

頭の回転が悪いせいなのか、精神論で仕事するタイプなので「いつだってやってやんよ」と月曜も日曜も怖くは無い。しかし、週の半ば水曜日の社内事故率の高さには恐怖を抱いてます。

最近の我が家

  • 3週間連続で「帰りが遅くなる」の連絡も無く、ついつい楽しくて時間を忘れて夜中に酔いに酔い飲んだくれて帰ってきた彼女をベッドの上に立たせて助走無しドロップキック(弱)事件
  • 忙しくし過ぎて何度か倒れた事がある僕が、また無茶なスケジュールを組んでフラフラになっていた所にそういうやり方やめろって言ってんだろビンタ(強)事件

彼女にドロップキックをするなんて酷いと思われるかもしれませんが、武術経験者の視界外からくるそういうやり方やめろって言ってんだろビンタ(強)は体罰を遥かに超えた滅する為の必殺技だと思います。

これが我が家で許されるのは、僕のお家のルールの一つでもある命に関わるような問題に対しては厳しくする。即ち、人の心配を無碍にする様な事をしたらそれ相当のお仕置きが待ってるからな。と、家の中では体罰を容認しています。

部活指導者の暴力はなぜなくならないのか

ニュース記事には部活指導者となってますが、指導者に指導には時に加害性が生じる事の教育をするのが指導者選別側の義務だと思いますけどね。

記事の話とは別ですが体罰の過程で「愛情を持って教育してきたつもりで…」なんて聞いた日にはお前といつ愛し合った関係になったんだよっ!と言いたくなります。


しかし、バレーボール部だった僕の友人は、部活中にふざけにふざけまくって監督に両耳たぶを持たれて引っ張られていましたが、僕は「いいぞ、もっとやれ」と思っていました。果たして僕は友人を擁護するべきだったのでしょうか。

体罰に関するニュースを見て

子供達がいる事でアナタの今の立ち位置があり、そして子供を与るという恩恵を受けた中で、尚且つ暴力を振ってまで更に上に立ちたいのか。

言葉を含めた暴力を使った指導は、時に人を傷つけ、時に人を絶望させ、時間で解決する保障の無い傷を付けてしまう事が多い。しかし加害側の指導者ばかりに目を向けるのではなく、指導者選別側の責任を問うべきだと思います。

少し厳しいくらいが場が締まる」とか良く聞きますが、「昔の夏はクーラーなんて使わなかった。今の子は軟弱だ」みたいな感じで言うのでしょうか。


例えばガチムチな指導者が「殺すぞ」なんて言ってくる現場は、はたして場が締まると言えるのだろうか。

未成年でも成年でも、必ず逃げ道は必要です。逃げ道を作ってほしいと本気で思います。時間が解決するという便利な言葉は、トラウマには有効ではありません。


スポーツでも仕事でも、酷いハラスメントを受けた経験者が語る「こいつを指導者に選んだの誰なのよ」とちょっぴり愚痴りたかった記事でした。