mikotohodo-三言ほど-

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人に教える立場になると拗れてしまうのか。それとも元々拗れていたのだろうか。


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その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる

思えば、この手のセリフって出所はどこなのだろうか。どこかの宗教の教えの一つなのだろうか。

このセリフを言うって事はだよ、このニュースになってる教師に辛く当たると教師は突如覚醒して人に優しくなれて、虐められている男子児童の気持ちが尚理解出来ることになるんだよねえ。

よく言えるよホントにこんな拗れたセリフ。

僕はこう思う、この拗れクソ野郎と。


中学の時、転校してきた女子生徒をいじめている男子生徒がいた。クラスが違った為、元気なさそうに静かにしている理由なんて当然知らず、見た感じ「おとなしそうな人だね」と、友人に言った事を今でも覚えている。
当時、男子が女子へのじゃれつきの類を思春期の一つとして教師が処理していた事があり、それは道徳かなにかの時間の時に担任が話していた。

「かまいたくて仕方が無いあれは思春期だから」

みたいな事を言っていた。


転校してきた女子生徒の虐めの件は、教師の適当な対応に怒り狂った父親が校内へ乗り込んできたことで終息した。が、目に見える虐めが無くなっても、見に見えない虐めが無くなるわけではない。


では、この転校してきた女子生徒の場合、人に優しくなれたかという話をしたい。
現在の結果としては、母になり、良いお母さんの顔をしている。
しかし、高校に入ってからとんでもねーくらいグレて、ある地域のある所の「橋を渡った向こう側はあいつの島だ」と言われるくらいになっていた。

お互い高校は違ったのだけど、どのタイミングだったかは覚えてないが軽く話をする仲くらいにはなっていて、たまに会うと「きちんと学校に行ってるのか」が定番の会話だった。

普通の会話だと笑顔なのだけど、突っ込んだ話をした瞬間に毎回邪険にされる。

その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる」とは受けた人間の事ではなく、外側から見て感じて、第三者の立場なのだけど、当事者のように痛みを感じる事で「人に優しくなれる」というよりは、「他人になるべく危害を加えない人」になれるのではと思う。


辛いことをされつづけてどうやって人に優しくなれるのか。そこまでしないと人に優しくなれないのか。また、そこまでしてまで人に優しくする必要があるのだろうか。

おい、クソ教師、説明しろ。と問い詰めたい気持ちではある。