mikotohodo-三言ほど-

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依存症を絶った切っ掛け

少し前に性依存症のニュース記事があり、依存症について自分は何に依存しているか考えてみたのですが、その昔自分はギャンブル依存症であり、ニコチン依存症だった(と思う)


依存症であることに悩んでいる人も多くいると聞きますが、治療に関しての実態を僕は知らない。唯一知っているのはタバコを止める際にニコチンパッチを使う方法があるくらい。
でも僕はそれをしていない。
そういえば、お酒はあまり飲まないのではなく、あまり飲めないタイプなのだけど、一時ではあるけれど家でよく心配されるほど飲んでいた時期がある。



ギャンブル、タバコ、アルコール。と、身近にあるモノにハマった事がある僕はいつの間にかこれらを絶っていたという話。

参考になるかどうかは分からない。

ある日、僕はギャンブルに飽きた。タバコも飽きた。お酒も飽きた。
心の中で「何か飽きたな」って呟いき、誰に止められる事も無く、どこかの機関に協力を求める訳でもなく、「飽きた」という言葉が自己暗示なのか本当に飽きたのか分からないけどやらなくなったのは確か。


彼女なんかとよくパチンコ屋に行っていたのだけど、閉店時間までやっていた日の帰り道に「なんか飽きたな」って。タバコも結構な量を吸っていたのだけど、「なんか飽きたな」って思ってからたまに吸いたいかも…って思うくらいで特にイライラもなくそのまま禁煙へ。

お酒も安いものを買って毎日飲んでいたのだけど、これもまた寝る間際に「飽きたな」って思った。


色々と止めてからその後いい事があったのか考えると…

一番はタバコだろうか。ご飯が美味しくなるとかそんなことはどうでも良くて、非喫煙者と味覚が合うようになった事が楽しい。
今まで味気なかったものが、実は結構味濃かったなんてことは実感出来るかもしれない。あくまでもかもしれないと言っておく。


しかしまあ「止めたい止めたい」と思うよりも、「飽きた」と欲望を拒否するもの良いのかもしれない。

止めたいという欲望の見え隠れ。飽きたという拒否。お別れですね。
そんなに簡単な話ではないと思うのですが、飽きてみるのも良いかもしれません

しかし、何かにお金をかけて、それを絶ったわけですから、お金が余るわけです。
そしてお金を使う事が好きな僕はただ余らせるわけがない。

もしかしたらお金を消費することに依存しているのかもしれない。
そして「お金を使う事に飽きた」という日がくるのだろうか…まあこないだろうな。


僕は依存症の実態を何となくしか知らない。
しかし僕は飽きたという言葉は依存症を絶つ為に大きな力を発揮すると割と本気で信じている。